浜松市が「起業の街」を目指して取り組んでいる「浜松バレー構想」

スズキやホンダ、ヤマハなどのような世界で活躍する企業を輩出するために、起業しやすい環境を整え、浜松市外からもベンチャー企業や移住者の誘致を積極的に行っています。

前回の記事では、浜松市長・鈴木康友氏とヤマハ・モーター・ベンチャーズCEO西城洋志氏の対談を実施し、浜松バレー構想の具体的な施策について伺いました。

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Image: 浜松市

今回は「移住」に焦点を当て、3人の移住者に浜松の魅力を「生活」と「ビジネス」の両面から語っていただきました。実際に浜松に移住してきた彼らの本音は、どのようなものなのでしょうか。

海が身近にある生活。浜松は「本州最後の楽園」だ

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Photo: 木原基行

渡邉 一博(わたなべ・かずひろ)

株式会社こころ代表取締役。2006年、31歳の時に移住。日本オラクル株式会社でITコンサルタントを経験し、株式会社こころを起業。現在、静岡県と愛知県下で「居酒屋」「カフェ」「しゃぶしゃぶ食べ放題」など7ブランド21店舗を運営中。最近は、「IT×外食」をコンセプトに静岡県産の食品を扱うECサイト「ECモールしずも」やオンラインでメニューを翻訳できるサービス「グルメニ」なども運営している。

──渡邉さんは広島県出身でありながら、浜松で起業しています。浜松と関わりを持ったきっかけはなんでしょうか?

浜松との関係の始まりは、私が25歳のころまで遡ります。当時は東京でITコンサルタントとして働きながら、休日は千葉県の九十九里でサーフィンをするという生活を送っていました。でも、週末の九十九里はすごく混んでいて、渋滞すると片道2時間かかることも当たり前でした。

そこで渋滞を避けるために、金曜日の夜から高速に乗って浜松に行き、土日にサーフィンをするようになりました。そんな生活を3年ほど続けていましたね。

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Image: 渡邉 一博

──浜松はサーフィンに適しているんですか?

静岡県西部は御前崎から浜松、新居まで全域でサーフィンができます。風向きや波のうねりでできる場所は変わりますが、1年を通して海が温かいのも特長です。九十九里は黒潮が入り込んでいて、冬はヘッドキャップをつけないと耳がキンキンに冷えてしまうんですが、浜松ではそれがありません。

実際、浜松にはサーフィン移住者が多いと思います。もちろん、それは「サーフィンがしやすい環境だから」というのもあるのですが、製造業の街なので工場が多く、働く時間がきっちり決まっていることも関係していると思います。夜勤なら仕事終わりに海に入れるし、朝、海に入って、そのままスーツを着て出勤という人もたくさんいます。

──サーフィンをきっかけに、浜松への移住を考えたんですね。しかし、なぜIT業界ではなく飲食業界で起業したのでしょうか?

早稲田大学在学中に、居酒屋で4年間アルバイトをしていました。当時は、キツイし辛い仕事だなと思っていたところもあるのですが、一方でいい面もあって。お客様との距離が近く、提供した料理や一生懸命働いている姿を褒めてもらえます。その点で、いい商売だなと。そのお店は30席ほどの居酒屋だったんですが、社長がベンツに乗っていて、飲食店は頑張れば結果がついてくる商売なんだと思えたことも大きかったですね。

──それでも異業種の起業です。何か勝算はあったのでしょうか?

外食産業は約25兆円の市場があり、店舗数が67万店舗とプレーヤーの数が多いことが特徴です。これはほかの業界と比べると非常に異質で、たとえば通信産業は約14兆円の市場がありながら、数十社程度しかありません。1店舗や2店舗を経営している個人の飲食店が、大きな市場を取り合っているというわけです。

裏を返せば、競争の質自体はそこまで高くないのではないかと思いました。飲食の現場は、ITを駆使した効率化が得意ではないと感じていたので、オラクルで培ったITの知識を経営に活かせば、十分勝算はあると自信を持っていました。

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こころが経営する「居酒屋ダイニングてんくう」
Image:こころ

── なるほど。ほかにサーフィンができる都市はあると思うのですが、なぜその中でも浜松を創業の地に選んだのでしょうか?

確かに浜松のように海がある都市はいくつかあります。ただ、 飲食店が成り立つ要素として、ある程度の人口規模が必要です。そうなると政令指定都市で、海が近くてサーフィンができるという条件を満たすのは、浜松、福岡、仙台の3都市だけになります。

仙台は何度か海に入っているんですが、冬は水温が冷たすぎるんです。福岡は、海岸線が太平洋に直接面しているわけではないので、波がコンスタントにあるわけではありません。これらを考慮すると、海が温かくて波がコンスタントにある浜松しかないなと思いました。

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浜松駅から徒歩5分の場所に位置する株式会社こころのオフィス
Photo: 木原基行

──家族からの反対はありませんでしたか? 移住だけではなく起業もとなれば、不安があると思うのですが…。

あまりありませんでしたね。もともと、東京は住環境や子育てをする環境も含め、「ちょっと住みづらいな」と思う部分がありました。しかも、仕事でプロジェクトが立て込むと徹夜で帰れない日もあったりして、これはいけないなと。

それで、もういっそのこと「移住するぞ」と。しかも「起業するぞ」と。「なんとかなるか」、みたいな感じであまり深く追求されませんでしたし、どちらかと言えばすぐに賛同してくれましたね。

──それから浜松に移住して、ライフスタイルはどう変わりましたか?

浜松は、病院も多いし、公園の数も多い。遊ぶ場所もいっぱいあります。弊社の副社長も、移住する前には東京で働きながら子育てをしていましたが、浜松のほうが子育てしやすいと言っています。

オフィスの近くに家を借りても、家賃が安いのがよかったですね。東京でオフィスに5分で行ける場所を借りようと思ったら、10万円以下では不可能でしょう。これは少し言いすぎかもしれませんが、浜松に来て所得が半分になったとしても、東京で感じるさまざまなストレスがなくなると思えば、生活の豊かさは変わらないんじゃないかなと思います。そうすると、東京と同じくらい稼げば、豊かさも倍になるかもしれません。これが地方に住むことの魅力なんですよね。

プラス、海まで10分で行ける場所に住めて、朝に1時間ほどサーフィンを楽しめる生活も実現できました。「なんて幸せな土地に住めたんだ」というのが今の気持ちです。

満員電車に揺られることもなく、5分で通勤できて、いつでも海にも行ける。本州最後の楽園と言ってもいいと思います(笑)。

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Photo: 木原基行

──地域コミュニティへのなじみづらさなどはなかったですか?

地域によっては地元愛が強く、なかなか入りづらいところもあるかもしれません。しかし、浜松では仲間内に入れないという雰囲気を感じたことはありません。

不思議に思って色々な人に聞いてみたんですが、東海道のど真ん中で江戸時代から人の往来がたくさんあったことが関係しているんじゃないかと。だから、昔から人を受け入れる文化があったのではないかと思います。

実際、創業したときは地元のコミュニティから排除されないか少し心配だったのですが、そんなことは決してありませんでした。いいものを作れば認めてもらえるし、比較的温かく見守ってくれるのを感じています。裏を返せば、地元愛が少し弱いということかもしれませんが、新しいことにチャレンジしたい人にはいい環境だと思います。

──外食産業に身を置いている立場として、浜松の「食」についてはどう思いますか?

浜松市は、海だけではなく湖や山など自然が豊かな場所で、野菜の生産品目は全国でもトップクラス。浜松ならば、ほぼ地元の野菜で食卓を成立させることができます。

エシャレット、玉ねぎ、三ケ日みかん、お茶、クラウンメロン、トマトなど全国的に有名な野菜も数多くあります。

また、太平洋に面し、かつ浜名湖があるため、海産物も豊富です。たとえば、浜松はモチガツオと呼ばれる死後硬直する前のカツオが食べられる珍しい場所です。モチガツオは、つきたてのお餅みたいにモチモチしていてとてもおいしいです。ほかにもウナギやすっぽん、とらふぐ、車海老、ドウマン蟹なども有名です。とにかく食文化が豊かな土地だと思います。

浜松は「シニアベンチャー」にとって最高の場所

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Photo: 木原基行

土井 寛之(どい・ひろゆき)

株式会社SPLYZA代表取締役。2011年、35歳の時に移住。アマチュアスポーツマンの「もっと上手になりたい」を叶えるという信念の下、iPhoneで撮影した動画を残像動画に変換できるアプリなどを開発。ランニング、野球、ゴルフ、サッカーなどさまざまな競技で利用されている。Microsoft Innovation Award 2016ファイナリスト、始動NextInnovator 2016(グローバル起業家等育成プログラム) ・シリコンバレー派遣(Top20) などに選出。

──まず事業内容について簡単に教えていただけますでしょうか?

スポーツ向けのアプリの開発をしており、現在『Clipstro』『Clipstro Golf』『SPLYZA Teams』の3つのアプリをリリースしています。『Clipstro』は、スマートフォンで撮影した映像を残像動画に自動変換できるアプリ。『Clipstro Golf』は、『Clipstro』のゴルフに特化したアプリといったところです。

スプライザの開発するアプリ「Clipstro Golf(クリプストロ ゴルフ)」は、ゴルフスイングを撮影するだけで、スイングや弾道の軌跡を自動で可視化することができる

そして、今最も力を入れているのが『SPYZA Teams』。監督と選手が一緒に試合の動画を編集・分析できるアプリです。たとえばサッカーを例にあげると、これまでシュートシーンだけをまとめて見たいと思ったら、何時間もかけて監督が動画を編集する必要がありました。

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Image: SPLYZA

でもSPLYZA Teamsは、スマートフォンで監督と選手がそれぞれ「スローイングシーン」「シュートシーン」「パスシーン」など、タグを動画中につけることできます。結果的に編集時間を短縮し、監督にかかっていた負担も減らせます。編集した動画は、ミーティングのときに使ったり、チーム内でシェアしたりすることも可能です。

──土井さんは神戸出身ですが、浜松と関わりを持ったのはいつごろですか?

同志社大学に在学中、就職活動をしていたときに、浜松に拠点を置くソフトウェア開発会社のアルモニコスからハガキが届きました。そこには「この数学の問題解けますか?」というような、挑戦的なことが書かれていて、おもしろい会社だなと思い、話を聞きに行きました(どうせやるならおもしろいことをと思っていたので)。

アルモニコスに入社を決め、浜松市に移住することになりました。それからプログラマーとしてのキャリアを築いていくはずだったのですが、入社3年目で雲行きが変わります。同僚に浜名湖に連れて行かれ、ウインドサーフィンをやったんですが、そこから、もう仕事そっちのけでウインドサーフィンにどっぷりハマってしまいました。アマチュアの大会で優勝を目指していたくらいです。

それで、もう仕事なんてやってられないとなって、30歳のときに仕事を辞めてウインドサーフィンに専念するためにオーストラリアへ行くことにしました。一応、会社に「1年間休んでいいですか?」と聞いてみたんですけど、さすがにダメでした(笑)。

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Image: 土井 寛之

──そのとき奥さんも一緒にオーストラリアに行ったんですよね?

そうですね。最初の3日だけ、挙式のために来ていました。そのあとは「じゃあ、頑張ってね」と帰国して、私だけオーストラリアに残りました(笑)。最初の半年は、とにかくウインドサーフィンばかりしていましたが、残りの半年は、貯金していた200万円がなくなったので、塾で日本語を教えたり、旅行代理店で働いたりしていました。

──日本に戻って来られてからはなにを?

住む家を借りるお金もなかったので、一旦は私も妻もお互いの実家で生活しました。帰国当時の私は、32歳既婚者にも関わらず、妻と別々の家に住んで所持金10万円。しかも職なしでした。まずは働かなくてはいけないということで、昔から考えていた起業をしようと思ったのですが、まず最初に、9万円のオーダーメイドの財布を買いました。使っていた財布がボロボロでこれは社長の財布じゃないなと。起業して社長になるなら、これではダメだということで、財布を買ったんです。

──起業の最初の準備は財布だったんですね。起業はどのタイミングで?

それからさすがに働かないとまずいと思い、名古屋で起業した前職の先輩の会社で3年ほど働きました。で、名古屋で働いていたときに、車を盗まれてしまいました。しかも、ウインドサーフィンの道具も一緒に。

でも、これがきっかけで起業する決心がつきました。それまでウインドサーフィンのことで頭がいっぱいでしたが、道具がすべてなくなったことで頭を切り替えることができました。それから、すぐにアルモニコスの元同僚に電話をして、起業しようと伝えました。

「アイデアはあるの?」と言われて、「みんなで考えよう」と。そこから、月に1度のペースで会ってアイディアを練っていきました。

──奥さんやお子さんもいたと思いますが、起業するとき気をつけたことはありますか?

学生のスタートアップなら収益がなくてもなんとかやっていけますが、家族がいるとそういうわけにはいきません。創業メンバーにはそれぞれ子どもがいたので、最低でも月に1人25〜30万円の生活費は必要になります。最低限それだけの収益を出せる状態じゃないと、資本金を500万円用意しても3カ月や4カ月でなくなってしまいます。じゃあ、その数カ月の間に売上が増えるかといったらそう簡単にはいきません。そこで、最初に仕事をいただけそうな会社を見つけてから起業しました。

──他の都市で起業するという選択肢もあったと思いますが、浜松で起業した理由はありますか?

確かに、私が名古屋にいたので名古屋という選択肢はありましたし、東京という選択肢もありました。でも、ベンチャーはすぐに売上が立つわけではないので、最初はできるだけ支出を抑えることが大切だと思ったんです。東京は生活コストが高いため、支出が必然的に増えます。

東京なら3カ月しか生き残れないかもしれない売上でも浜松なら半年生き残れるかもしれない。つまり、売上ゼロが続いたときに何カ月生き残れるのか。家族がいるシニアベンチャーは、まずそこを考えないといけません。

──生活コストの低さは重要ですね。そのほかに、浜松で起業することのメリットは感じますか?

家族に関することだと、まず教育面です。浜松は田舎すぎず、都会すぎずバランスがちょうどいい。これが過疎地みたいなところだと、学校がないとか少なすぎるということになりますが、浜松はそんなことありません。

あと家賃が安いので、オフィスの近くに住めます。東京だと、通勤に往復2時間かけることも珍しくありません。極端にいってしまえば、東京の人よりも1日が2時間長いということです。

私の場合、浜松イノベーションキューブという中小機構が運営し、浜松市が賃料を補助している施設にオフィスを借りています。住居は、そこから徒歩1分の距離にあるので、いつでも家に帰れるんです。帰るのが遅くなったとしても、お昼ご飯や夜ご飯は一緒に家族と食べられます。

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スプライザが入居する浜松イノベーションキューブ(HI-Cube)。賃料は月々約4万円~約10万円(浜松市からの賃料補助後)。
Photo: 木原基行

家族と一緒にいられる時間がとれるのは経営者や従業員にとって、とても大切なことだと思います。外食をする必要がないので、食費も抑えられますしね。

──確かにオフィスの近くに住めるというのはメリットですね。地方だと人材の確保で困ることはありませんか?

確かにそれはあると思いますが、外国人を積極的に採用することでその問題を解決しています。弊社は8人中5人が外国人です。アメリカ、イギリス、メキシコ、ホンジュラス、ベトナムなど国籍はさまざま。外国人は、日本人と比べると東京で働きたいという憧れをあまり持っていません。満員電車を避けたい外国人も多く、エンジニアですので日本語能力が必須ではないということもあり、募集をかければ何十人、何百人から応募がきます。

そしておもしろいことに、外国人を採用することで日本人から注目してもらえることも増えました。最初は募集をかけても応募がなかったのですが、外国人が多く海外に近い環境で働けるということもあってか、最近は応募が増えています。

──地方で創業すると、東京や大阪とのつながりがなくなりませんか?

地方にいると、ネットワーキングを怠けようと思ったらいくらでも怠けられるんですよ。だからこそ、積極的に人に会いに行くことは大切です。特にベンチャーを立ち上げると、新幹線の費用は気になるものです。でも、コツコツと続けていかないと人脈は広がりません。

私も最初はスポーツに関するイベントを探して、何度も顔を出しに行きました。東京まで行って1人にだけ会うのは効率が悪いので、何十人と集まるイベントで知り合いを増やしていきました。

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Photo: 木原基行

──浜松で起業する場合、どの業界が適していると思いますか?

私はIT業界しかわかりませんが、コストが安いという面でITは間違いなく適しています。エンジニアが多い会社は、あまり外にでる機会がありません。だから東京に常にいる必要もない。

しかし、これが営業主体の会社だったら話は別だと思います。浜松は、東京や大阪にアクセスがよく日帰りでも行けてしまいますが、例えば従業員8人が毎日のように出張していたら支出がかさみます。そうなると、東京にオフィスを構えたほうが安いとなるかもしれません。

──最近、Hamamatsu Venture Tribeなどを開催して、浜松のベンチャー企業内での横のつながりを強化されていますね。

スタートアップの経営者同士で話したいことってあるんですよね。たとえば、資金調達や採用の話もそうだし、同じような悩みをみんな持っているので、そうしたことを近場で相談できる環境を作りたいなと思っているんです。それこそ普通にMessengerで話すのもそうだし、ちょっと相談したいって飯食いに行ってもいいですし。ベンチャー起業の絶対数が少ないからこそ、横のつながりは大切だと思います。

水窪町は「ハックせずにはいられない」町

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Photo: 開發祐介

冨士川 凛太郎(ふじかわ・りんたろう)

合同会社simpleA代表。2012年、32歳の時に移住。豊橋技術科学大学博士後期課程修了後、2009年に日立製作所入社。2012年6月に合同会社simpleAに転職後、浜松市天竜区水窪に移住。simpleAでは、海外案件でベトナムを担当。日系企業の東南アジア進出支援に従事。市場調査からシステム開発まで、幅広く企業を支援する。国内案件では、システム開発とITコンサルを担当。IoTアプリ、ヘルステック、アグリテック、各種WEBサービスの開発やコンサルに従事。2017年4月、元サッカー日本代表選手の鈴木啓太氏が立ち上げたAuB株式会社の取締役に就任。

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Image: 浜松市

──まず、水窪町について教えていただけますか?

水窪町は、浜松市中心部から離れた場所にある、人口2100人ほどの小さな町です。山に囲まれ、川が流れている自然豊かな場所で、浜松市街からは車で2時間かかります。

こう聞くと不便な生活をしているのではないかと思うかもしれませんが、住宅や商店街が一部に集まっているので、生活面での不便さはあまり感じません

── なぜ水窪に移住をされたのでしょうか?

2012年に会社員を辞めたときにITコンサルの仕事なのでどこに住んでいてもいいかなと思っていたところ、ちょうど妻の親戚の家があって法事で何度か来たことがあった水窪を思い出し、移住することに決めました。東京の満員電車にウンザリしていたのも、理由のひとつです。

また、町の高齢化率は50%以上で、2人に1人は高齢者という地域です。見方を変えれば、これから多くの地方都市が体験する課題が既に顕在化している、日本の先進地域だと思っています。この町で必要とされるITシステム、民間や行政のサービスなどを身をもって知り、その体験を仕事に生かしたいと思って移住しました。

── 水窪に住みながら、仕事は成立するのでしょうか?

仕事は、いろんな企業の新規事業の立ち上げやITシステムのコンサルティングなので、あまり場所に縛られることはありません。場所に縛られないと、時間にも縛られなくなってきて、好きなときに好きな人と会える機会も増え、よい仕事にも出会える機会が増えました。

最近は、元浦和レッズの鈴木啓太氏が立ち上げた、アスリートの腸内細菌を研究して事業化する会社の立ち上げに携わり、今年4月から取締役に就任しました。私個人としては、今はそちらの方に時間を多く使っています。このようにフレキシブルな働き方をしていると、どこに住んでいるかというのは本当に問題になりません。

── 住みやすさなど、生活面でのメリットは感じますか?

娘が4歳なんですが、子育てをするなら水窪がいいなと改めて思います。幼稚園の同級生は4人、園全体でも15人しかいないんですが、すごくのびのびと育っています。しかも、子どもたちだけではなく、先生や親など大人ものびのびしているんです。クレーマーみたいな人が少ないので、大人に余裕ができて、子供にも良い環境ができているのだと思います。

また、支出を抑えられるというのもポイントです。水窪は浜松のなかでもかなりの過疎地なので、今住んでいる家の家賃は月1万円です。次に引越しを考えている候補も、3LDK〜5LDKの一軒家で家賃2万円前後。会社の経営と同じで、家計についても、固定費はできるだけ下げた方がよいと思っています。地方ではそれが実現しやすいと思います。

水窪は、アクセスもそれほど悪くありません。JR飯田線という電車が通っていて、新幹線を使えば豊橋経由で東京まで3時間で行けます。東京にいたころ、川崎と秋葉原を1時間かけて毎日往復していたことを考えると、週1回席に座って往復することは苦にはなりません。

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「水窪祭り」に参加する冨士川さん親子
Image: 冨士川 凛太郎

誰かが言っていた「東京に残業が多いのはお祭りや地域のイベントがないからだ」というのを、すごく実感しています。水窪に住んでいると、仕事より優先しなきゃいけない地元のイベントって結構あって。たとえば、消防団とかお祭りの準備とか。みんな仕事よりも、その時期は地域の活動を優先させるわけですよ。だから、勤めている人でも「今日はちょっと消防だから帰るね」とか普通にあります。

──冨士川さんご自身も地域コミュニティに積極的に入り込んで、イベントなどをやられているそうですね。

地域おこしをしているNPOのメンバーになり、 アワやキビなどの雑穀を作っています。そこで作ったものは、うなぎパイの製造元である春華堂さんが運営している五穀屋というお店でも扱ってもらっています。収穫のイベントをしたり、畑のなかにダイニングを作ってスペインのミシュラン1つ星レストランのシェフに料理を振舞ってもらったりと、さまざまなイベントに携わっています。来年は、世界中から100人以上のセレブを水窪に集めるイベントを、春華堂さんと企画中です。

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Image: 浜松市

そのほかにも、水窪は長野県との県境に位置しているのですが、毎年綱引き大会で県境を決めているんです。そのイベントの司会を、4年連続でやっています。ここ数年静岡側は負け越していて、押し込まれています。あくまでも、仮想の県境を取り合っているんですけどね(笑)。

── 水窪町のような場所に移住する楽しさはなんでしょうか?

移住するときに、「町をハックしてやろう」と思ったんですね。人が少なく、空き家が多いことはプラスにも受け取れます。

以前、その空き家を活用しようということで、空き家を自由に改装できる「空き家ハッカソン」という企画をしたこともあります。建築学部の学生が集まってきて、畳を剥がしてフローリングにしたり、すごくおもしろかったですね。学生も「本当にこんなことしていいんですか?」と聞いてきたりして。

このような空き家を有効活用する活動は、まだ水窪ではあまり多くないためチャンスが溢れています。今からはじめれば、先駆者になれる可能性もあると思います。それこそAirbnb(エアビーアンドビー)で、誰でも民泊をはじめられる時代ですし、家を安く借りて、おしゃれな宿泊施設を作ることだってできるはずです。

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現在、冨士川さんが空き家を改築して準備しているカフェ。まもなくオープン予定
Image: 冨士川 凛太郎

とにかく、NPOもそうですし、空き家ハッカソンもそうですし、色々やりやすいんですよね。以前弊社で、iBeacon(近接するとスマートフォンと通信してさまざまな情報を通知できるデバイス)の実証実験をすることがありました。どこでやるか迷ったんですが、水窪の商店街でやらせていただけました。東京でやるとなると、意外と根回しなど事前調整がめんどくさくて(笑)。

ショッピングモールでやる案もあったんですが、各テナントの許可とか管理会社の許可とか、写真に映ったらまずいものがあるとか、色々な手続きが必要だったんですね。でも、水窪は早かったです。商店街のえらいおじさんが「いいよ」って言えば、それでいいので(笑)。

──水窪のいい面がたくさん見えてきました。逆に、水窪に足りないものはありますか?

外からの人がもっと増えるといいなとは思います。移住者として快適な環境に共感してくれる人が欲しいです(笑)。あとは、NPOの活動やITに関わる仕事では、浜松にまだまだ人材が不足していると感じます。

行政も民間企業も、仕事を頼みたくても浜松に適任者がいなくて、東京の会社に発注するという場面をよく見かけます。うちの会社でも、仕事を手伝ってくれる人は常に必要としていますので、是非思い切って移住してきて欲しいですね。生活コストが安い分、移住・転職のハードルは低いと思います。

──水窪の食の魅力についてはいかがでしょうか?

田舎あるあるですが、まわりの家からいろいろと食材をもらいます。野菜はもちろんですが、鹿肉や川魚をもらうこともあります。1回、鹿をさばいているところを見せてもらったこともあります。 鮎、イワナ、アマゴなど、魚も美味しいですよ。カリカリに焼いたイワナを熱燗に浸す骨酒は絶品なので、ぜひ1度試しにきてください。

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水窪でとれたイワナとアマゴ
Image: 冨士川 凛太郎




今回のインタビューで全員が口を揃えて言っていたのが、「生活コストを抑えられる」ということ。それでいて学校や子供の教育に必要な環境は整っているというのは、浜松に住む大きなメリットと言えそうです。また、今回インタビューした3人のうち2人がマリンスポーツに熱中していたことからもわかるとおり、海や湖があることも大きな魅力の1つですね。

「東京・大阪へのアクセス」「外から人を受け入れる土壌がある」などの点は、ビジネスにおいても大きなメリットなのではないでしょうか。スズキやヤマハ、ホンダなどの世界的企業を生んだのも、偶然ではなさそうです。

何より今の浜松は、新しい風を求めています。そして、その風はあなたかもしれません。

Photo: 木原基行、開發祐介

Source: 浜松市